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■特集■ “第4回”株式会社メックデザイン(後半)

株式会社メックデザインの取り組みをご紹介します。

 

代表取締役 井上和夫氏

株式会社メックデザイン

〒214-0014

神奈川県川崎市多摩区登戸133

HP:http://www.mec-systems.co

 

友情から始まった新たな事業(後半)
日本に、世界に、車いすを通じてメッセージを伝える


 

「動くこと」を提供するだけではない車いすの存在

 その後、脳性マヒの子供たちが通う千葉県・松戸の特別支援学校にてモニター使用してもらうことになる。
寝たきりの、介助なくしては動くことが難しい子供たちがどうしたら使えるようになるのか、再び試行錯誤が始まった。恐怖感をなくすため動き出しの速度をで きる限り落とし、小さな力で動かせるようコントローラの位置も調整した。それにより「自分で動く」という概念がなかった子供たちが、生まれて初めて自分の 意志で動ける喜びを実感することができたのである。

 

 車いすにより「自分の意思で何かができる」という気持ちからか子どもたちに変化が表れた。 個人差はあれど、呼吸が少し安定したり、指が動くようになったり、「楽しいから乗りたい」と思う気持ちをはじめ、様々なシーンにおいてより積極的な 意思を持つようになった。そして一人の子が卒業証書授与式にその車いすで自ら受け取ることを希望し、それが実現できたのである。今では運動会にも出場している。

 

世界に向けて、そして誇れる日本へ

 

「舞台照明と車いす製作は全く異なる分野だと思っていました。でも照明や美術の仕事は多くの機材を使い、コンピュータを駆使し、モーター・電気・エレクトロニクスそしてデザイン能力…と今まで培ってきたことが全て役に立ったのです。」と井上社長は語る。

 

「照明は一つの企画を具現化し、音を視覚化することで人を楽しませ、感動させる。それがまさに今、この”吉田いす”の製作に通じているのだと実感しています。もしかしたら自分はこれを作るために40年も照明をやってきたとさえ思うのです。」
昨年のドイツの展示会でも手応えがあった。機能のみを追求した従来品の中で、『吉田いす』のコンセプトは興味を持たれ、確実なニーズを感じられた。デンマークのチームからは製作にかかる「心」が伝わるのだと言われた。

 

 医療として使うものではあるが、もっといろんなデザインの選択肢があってもいいのではないか。 与えられたものを使うものではなく、愛着の持てる気に入ったものを使うことにより、不自由さからくる精神的な苦痛を少しでも緩和できたらいいと語る。 「誰でも作れるわけではありません。だからこそ自分がそれをできる立場にあるなら、製作し、そこに思いやメッセージを込めて世に出していくことが、 社会に対する自分の義務なんだと思います。」

 

 人間誰しも障害とともに生きる可能性がある。それは明日、直面するかもしれないのである。

 

「海外では若者も年寄りもファーストネームで呼び合う。そこには隔たりがないんです。肩書きとかレッテルとか、外見で判断する事がほとんどないんです。身 障者と健常者の間にも同じように隔たりはありません。みんな同じ人間同士で、言葉が違うとか背の高さが違うとか、肌の色が違うとかと同じで、当たり前に生 活しています。日本ではそうではありませんね。身障者のマークなんて日本だけだしね。いつの日か日本もそういう社会になるといいですね。」

 

 そう語る井上社長の目は優しく、そして強く輝いている。

 

てんとう虫をイメージした子供用車いす

 

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■特集■ “第4回”株式会社メックデザイン(前半)

株式会社メックデザインの取り組みをご紹介します。

 

月に腰掛けるイメージの

キッズムーン・ティルト

株式会社メックデザイン

〒214-0014

神奈川県川崎市多摩区登戸133

HP:http://www.mec-systems.co.jp/

 
友情から始まった新たな事業(前半)
日本に、世界に、車いすを通じてメッセージを伝える


 

ステージ上のきらびやかな光と音が織り成す異次元空間。―――これまで数多くの有名アーティストのライブを
光の演出でプロデュースしてきたコンサート照明デザイナーが、その40年のキャリアを新たな電動車いすのデザイン・製作に惜しみなく注ぎ込む─。

 

 株式会社メックデザインは、展示会・イベントにおける照明・美術をプランニングする会社である。 今ではその活躍の場は海外にまで広がり、人々に夢の時間と空間を提供している。

 

 今なぜ電動車いす製作なのか。 きっかけは井上社長の小学校からの友人で一級建築士である吉田氏が筋ジストロフィーを患い、車いすの生活を余儀なくされたこと。 自由にならない体の機能の代わりを担うものを作りたいという思いから、今回の開発は始まった。

 

 製作は全くの手探りで始まる。既存の電動車椅子の座面部分だけを取り換えたわけではない。 大事な友人の日々のパートナーであればこそ、一からの開発である。 電動モーター、コントローラ、車輪、シート、すべてのパーツを探すことから始まった。日本中を探したが満足するものには出会えなかった。 暗中模索する中で、やっとイギリスの会社のコントローラ、台湾のモーターや車輪に巡り合う。

 

 吉田氏がオフィスで使うため、足を置く部分を小さくし、邪魔にならないようにした。 そして、なんといってもこだわったのはボディである。従来の医療機器として金属素材ではなく、木が持つぬくもりを車椅子に加えたかった。 そして1号が完成する。ネーミングは「吉田いす」。井上社長の親友への思いがすべてここに込められている。 その翌年、世での評価を知るため展示会に出品する。そこで、車いすの世界に「デザイン」を取り入れたことが評価された。 「こういうのを待っていた!」「楽しそう!」「ぜひ続けて下さい」。そして井上社長は確信をする。「きっと使ってもらえる」と。

 

 車椅子を月に見たて、月に腰掛けるイメージで黄色のボディに青のシートのカラフルなものを製作した。 木部を赤やグリーンで染めたオーソドックスなタイプを作った。 次はレカロやコブラのバケットシートを使ったスポーティなもの、そして3歳から7歳用の赤と黒のてんとう虫イス。車いすでありながらコンセプトはデパートの屋上の乗り物のように「楽しく」進んでいく。

 

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■特集■ “第3回”スクール・エイド・ジャパン (後半)

特定非営利活動法人(NPO)スクール・エイド・ジャパンの支援をご紹介します。

NPO法人スクール・エイド・ジャパン

〒144-0043

東京都大田区羽田1-1-3 大鳥居京急第一ビル7F

HP:http://www.saj.or.jp/

 

寄付・会費の全てを現地の支援に投じる(後半)
教育を受ける喜びと楽しさが生む「夢」と「希望」を子供たちに


 

 

活動原則は寄付・会費のすべてを現地に・・・

 

 住田校長はSAJの事務局長に就任し、活動場所の選定と調査を始めた。 東南アジアの中でもカンボジアは都心部と農村地域の経済格差が激しく、また、アジアの最貧国の一つである。 渡邉代表と住田事務局長は、活動の拠点をカンボジアに決め、現地の調査に乗り出した。

 

 現地の教育現場は想像を絶するものだった。学校という枠(校舎)があっても、家の手伝いで登校できない子どもたち、AIDSなどによる孤児。 何度も足を運び、現地の人の教育への理解、文化の差など数々の壁を乗り越え、年月、第1号となる「トモケオ小学校」が完成した。 「子どもたちが楽しそうに学校に来るんですよ。“学校”っていう存在があるだけで子どもたちは嬉しいんですよ。」住田事務局長の頬がゆるむ。

 

 その後、SAJは学校運営に必要なあらゆるものの整備、“教育支援事業”にとりかかる。 その一つがふれあいサポートプランふれあいサポートプランとは、村人誰もが貧しい家と認める、1日1食すら食事が取れない家の子どもで、 貧しさのために入学できない、中途退学を余儀なくされる子どもたちへの「学費支援制度」である。 支援内容は、筆記用具と制服、そして月12kgの米の支給を一年間行う。 支給の対象になった子の“家にお米があると心が豊かになる”“勉強に身が入る”の笑顔に住田事務局長はこの事業の喜びを感じると語った。

 

カンボジアの給食は朝

 
 カンボジアでは、10歳を超えると労働力とみなされ、学校に通えなくなるケースが少なくない。 だが、家にお米さえあれば学校に行けるのだ。渡邉理事長と住田事務局長は考えた。 

 

 給食をつくりたい!
 特に住田事務局長は、戦後の日本を体験しているだけに、相当の思い入れがあった。そして現在、念願かない、WFP(国連世界食糧計画)と協同で給食の配給を行っている。

 

 なぜ、カンボジアの給食が朝なのか?住田事務局長は笑いながら答えた。
「給食を食べるために子どもたちは学校に来るんですよ」。

 

 渡邉理事長はSAJ設立の目的にこううたっている。
“人はそれぞれの資質を磨き高めるために生まれてきた。ならば、「教育」は「人間性を高める」ために人が為す最も重要なことだ”と。今の日本の生活は当たり前ではない。このような生活を出来るのは世界の1/3にも満たないのだ。

 

 そして、今の高校生に住田事務局長は次の言葉をくれた。“地道な積み重ねはいつか必ず形になる。大事なのは日々一生懸命努力をすること”
「義務」で教育が受けられるここ日本。それをどう生かせるか、その可能性は我々自身の中に無限にある。自身のためにも、世界のためにも。

 

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■特集■ “第3回”スクール・エイド・ジャパン (前半)

特定非営利活動法人(NPO)スクール・エイド・ジャパンの支援をご紹介します。

NPO法人スクール・エイド・ジャパン

〒144-0043

東京都大田区羽田1-1-3 大鳥居京急第一ビル7F

HP:http://www.saj.or.jp/

 

寄付・会費の全てを現地の支援に投じる(前半)
教育を受ける喜びと楽しさが生む「夢」と「希望」を子供たちに

 


 

 

活動原則は寄付・会費のすべてを現地に・・・

 

学校に通い文字の読み書きを学ぶ。
日本では当たり前の国民の権利-それが義務教育。

 

 カンボジアやネパールの子どもたちに教育の機会と場所を与えるため、2001年3月に設立されたスクール・エイド・ジャパン(以下SAJ)は、 現在100校を超える学校を設立、支援している。

 

 居食屋「和民」など全国にチェーン展開をするワタミグループの渡邉美樹社長は、以前よりNPOやNGOなどの団体に自らの事業で得た利益の一部を寄附していた。 ただ、常に一つの疑問が胸の中にあった。それは、“自分の思ったことに使われているのだろうか”というもの。 自らの思いを反映し、結果が確認できる組織をつくりたい。それが渡邉社長の夢であった。

 

 ある時、渡邉社長のもとに一通の手紙が届いた。当時、横浜の山手で小学校教育に取り組んでいた住田平吉校長からの講演の依頼だった。 住田校長は、数多くの学校で教師の育成、子どもたちへの教育に取り組んでいた。 住田校長は、赴任していた学区出身の渡邉社長の存在を知り、是非、子どもたちのために講演してもらえないかと依頼をしたのだった。

 

 三日後、住田校長のもとに渡邉社長より快諾の返事が届き、講演会が開催された。 その講演には子どもたちだけでなく、父兄だけでなく、不登校の中高生までも集まった。 その場で、子どもたちから渡邉社長は一つの質問をうけた。「渡邉社長の夢はなんですか」渡邉社長は答えた。

 

世界中に学校をつくりたい

 

 その数日後、住田校長は定年を迎えた。退職から半月後、今度は引退した住田校長のもとに渡邉社長から連絡がはいった。 “夢をカタチにする手伝いをしてくれないか”と。住田校長は常々思っていたことがあった。 自分が働くようになったら、学生時代に多くの人からもらった情け・つながりの恩返しがしたい。 渡邉社長とならそれが出来るかもしれない。そして、SAJは誕生した。

 

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■特集■ “第2回”ゼブラ株式会社 (後半)

ボールペンの新しい可能性を模索する!

ゼブラ株式会社

〒162-8562

東京都新宿区東五軒町2-9

HP:http://www.zebra.co.jp/

 
<異業種企業とのコラボレーション(後半)

廃棄を待つだけものから、創造を生み出すツールへ変身させる


 

多種の廃プラスチックへ展開

 

 他に3年前から提携し、生産している中で変わり種がある。選挙の際の投票用紙である。
現在、開票作業を軽減するために、折って入れた投票箱の中で自然に開くように作られている。これは実は紙ではなく、プラスチックが原料。そのためこの投票 済み用紙の再利用でゼブラのボールペンが作られ、選挙管理委員会の事務所の中で、または投票を促す活動の場面で使われている。

 

 この他にも現在11社と提携し、プロジェクトを進めている。 それはお茶の工場で排出された茶殻、CD・DVDの廃ディスク、回収パソコン、インクのカートリッジ、結束用のバンド、ヨーグルトの容器やふた、 掃除機の部品、ペットボトルのキャップなどなど実に多岐にわたる業種と廃材である。しかしそれを可能にしているのはゼブラの技術の高さであろう。

 

 「廃棄プラスチックは、そのままであればただの廃棄物でしかありません。 しかし、加工することでそれが有価物になり、売却益を得られ、廃棄コストも削減できます。そしてCO2削減にも貢献します。」と南方さんは説く。 また依頼元企業も、「環境にやさしい会社」として企業価値のUPにもつながるのである。

 

 現在も産業廃棄物業者からの問い合わせが数多く入ってくるという。 「嬉しいことですね。ただ何でも原料として使えるというわけではありません。 問い合わせの中にはブロック、生ゴミなども原料にならないかと相談をいただくのですが(笑)。 しかし今はそれが材料に適するかどうか、経験から技術サイドですぐに判断できるようになりました」

 

 さらに南方さんは続ける。 「全体の排出量からすればボールペンに加工しているのはごく一部ですが、それを使う人が少しでも環境について考えてくれることを願っています。 そしてそれこそがゼブラの存在価値であると考えています」

 

 かつて工場で、または普段の人々の生活の中で十分役目を果たしたプラスチックが、ゼブラの技術と企業努力で生まれ変わる。 そしてそのボールペンによってまた新たな時間を人々に提供していく。夢のあるプロジェクトである。

 

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■特集■ “第2回”ゼブラ株式会社 (前半)

ボールペンの新しい可能性を模索する!

ゼブラ株式会社

〒162-8562

東京都新宿区東五軒町2-9

HP:http://www.zebra.co.jp/

 
異業種企業とのコラボレーション(前半)

廃プラスチックが新しいボールペンで生き返る


 
1本のペンは絵も描け、言葉も表現できる。ペンは、これまでどれほど多くの夢や、学問を生み出してきたことだろう。 そのペンが今、リサイクルの輪をつないでいる。廃棄を待つゴミを、また新たな絵や言葉を生み出すペンに変える「リサイクル・プロジェクト」。

 

ゼブラ株式会社(以下ゼブラ)は高校生にもおなじみの筆記具を主力商品とする会社である。そこで現在展開されている「リサイクル・プロジェクト」。取引先企業から排出された廃プラスチックを原料に、ゼブラが筆記具にリサイクルするもの。

 

一例を紹介しよう。2003年より現在も続いているTOTO株式会社との提携。家庭で廃棄処分となった使用済ウォシュレット(=廃プラスチック)。 本来はこれを焼却処分するためCO2を発生させることになる。そこでこの「廃プラスチック」を回収し、ボールペンの本体にするというプロジェクトである。

 

メーカーにより試験回収された後、洗浄して分解。 そのうち、ふた・ケースの一部をチップ状に砕き、更に、粒状のペレット(プラスチック製品の原料となる直径数ミリ程度の筒状のもの)に加工する。 それをゼブラがノベルティー用のボールペンに加工し、TOTO株式会社が買い取るという仕組み。] デザインも一目見て、その原料を思い浮かべるような、依頼企業のイメージに直結したものになっている。

 

生産ラインを止めることもあった

 

一言で「リサイクル」というものの、その開発過程には困難が立ちはだかった。
「開発に要する期間は大体3か月から6か月。長いものは1年6か月を要したものもありました」
各社からの廃プラスチックの原料に合わせての製造のため手間もかかる。

 

プロジェクト開始当初から携わる営業企画室の南方さんは語る。 「作業効率上からも、コストダウン上からもできるだけ既製の型を使用しようとしていますが、ゼブラでもともと使用していた原料とは異なるため、 うまく接合できなかったり、成型できなかったり。そして無理に生産ラインに流したところ、機械に不調を来し、 通常製品の生産さえもストップしてさせてしまったこともあります」

 

プラスチックと言っても、その原料は多種多様、それぞれの製品で異なる。同じウォシュレットでも型番が違えば原料も異なる。 その再生プラスチックをいかに既存の生産ライン上でリサイクル品が作れるか、それが非常に難しい。

 

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■特集■ “第1回”特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン (後半)

特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン

〒151-0073

東京都渋谷区笹塚3-2-15 第二ベルプラザ2F

HP: http://www.peace-winds.org/

 

寄付・会費の全てを現地の支援に投じる(後半)
必要な人びとに必要な支援を

 

すべての人の平和な生活のために


 

長期的なサポートこそ支援の本質

 

 PWJは、支援開始から現在までに、スーダンだけで80本近い井戸を掘った。まず、どこに井戸が必要か調査し、掘削する場所を決める。 道路が通っていない地域もあるので、機械などを運ぶために道路づくりから始める場合もある。

 

 井戸を1本掘るには、100~150万円の経費と約20人の人員が必要だ。 しかし、スーダンには工事を行う人手がないため、隣国のケニアから手配しなければならない。それも大事な仕事のひとつだ。
 そして井戸を掘った後は、住民が管理できるように井戸の構造を説明したり、簡単な修理ができるように技術指導も行っている。 井戸の見回りも重要だ。きちんと管理されているか、定期的にチェックを行っている。 作って終わりではなく、長期的な生活のバックアップこそ支援の本質であるとPWJは考えている。

 

「井戸から汲み上げた水を見た子どもたちが、『水って色がないんだ!』とか『もう遠くまで歩かなくていいね!』と 笑顔で言ってくれた時は、本当にうれしかったですね」と、現地のプロジェクトに参加した国内事業部の高橋郁さんは言う。 こうした現地の人々の笑顔と言葉が、PWJの活動の原動力となっているのだ。

学生に現実を見つめてほしい
 PWJは、中高生に自分たちの活動を理解してもらうための「Gプロジェクト(学校プロジェクト)」にも力を入れている。 現在、中学・高校では、体験型の授業を取り入れている学校が多い。 例えば、国際支援についての授業を行い、実際にNPOやNGOを訪問して、どのような活動を行っているか学生たちに肌で学んでもらうというものだ。 PWJでは、実際の活動内容を話すとともに、支援が必要になった国の背景や、政治の事情などについても、映像を交えながらわかりやすく説明している。

 

「学生さんたちは、現地の映像を見て感動したり、NPOの活動を聞いて『こんな活動もしてるんだ』と驚いたりしています。 私たちの活動が必要となるようなことが世界の国で起こっているという現実を見つめ、なぜそうなったか、そうならないためにはどうしたらいいかを考えてほしい。」

 

「『私も将来、NPOの一員として海外で働きたいんです! どうしたらいいですか?』と真剣に訊いてくる学生もいます。 そういう人には、まずは語学力をつけるようアドバイスしています。やはり現地で大切なのはコミュニケーションですからね」と、高橋さん。

 

 PWJは、これからもすべての人たちが笑顔で生活できる世界をめざし、活動を続けていく。

 

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■特集■ “第1回”特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン (前半)

特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン

〒151-0073

東京都渋谷区笹塚3-2-15 第二ベルプラザ2F

HP: http://www.peace-winds.org/

 

必要な人びとに必要な支援を(前半)
すべての人の平和な生活のために


乾いたアフリカの大地に、井戸を掘る。4kmもの距離を歩いて水を汲む子どもたちのために。 澄んだ水を見たことがない人たちのために。そして、彼らの明るい笑顔のために─。

 

欧米に負けないNPOを

 

ピース ウィンズ・ジャパン(以下、PWJ)は、1996年に代表理事である大西健丞さんが設立したNPO(特定非営利活動法人)だ。  日本でNPO法が成立したのが、1998年。 イラクで活動をする中で、日本と欧米のNPOの違いを強く感じていた大西さんは、欧米と同じ立場で活動できるような日本生まれのNPOをめざし、 NPO法成立に先がけて、PWJを設立した。

 

日本と欧米の大きな違いは、対応の速度。欧米のNPOは事業体で緊急時用の資金や人手が十分にあり、災害などが起きた時の対応が早いが、 当時の日本は災害が起きてから資金や人を集めるという状況だった。大西さんはその問題を解消するため、外務省や経団連などの資金をプールしておくシステムを立案。 このシステムが機能することによって、PWJの支援開始は今では欧米にひけをとらないほど早くなった。

 

さらに、PWJの特徴としてあげられるのが、物資や資金の提供といった物的な支援にとどまらず、現地の人の生活に必要なインフラの整備に力を入れていることだ。 物資や資金は使ってしまえば終わりだが、水を得るための井戸、衛生面向上のためのトイレなどのインフラ整備を行うことによって、長期的に彼らの生活を支援する ことができる。PWJでは、「必要な人びとに必要な支援を」をモットーに、現地に人を派遣し、実情を把握しながら活動を行っている。

 

きれいな水を知らない人たちのために

 

PWJの活動の中で近年注目されているのが、西アフリカのリベリアとスーダンの「帰還民支援」だ。 リベリアとスーダンでは、15~20数年内戦が続いていたが、ようやく和平が結ばれ、政情が安定してきた。 避難していた人々は、今続々と自分たちの村へと帰ってきている。しかし、長い紛争の結果、家もなくなり、食べ物はおろか飲む水さえ満足に得ることができない。  そこで、帰還した人々が安心して生活できるよう、PWJは井戸の掘削を行っている。

 

スーダンでは、往復4時間かかる井戸まで水を汲みに行くか、ナイル川の濁った水を使うしかない。 ナイル川の水は非衛生で、飲料水として使用すると下痢やコレラ、寄生虫などによって病気にかかる可能性が高いのだ。 体力のない子どもたちは、それが原因で命を落としている。   水道をひねればきれいな水がいくらでも出て、水道水がまずいからとコンビニで水を買う日本では信じられないかもしれないが、これがスーダンの現実だ。

 

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■特集■ 空間デザイナー 桑波田 謙さん(後半)

今回は神奈川県横浜市で空間デザイナーとして活躍している桑波田謙さんにお話を伺いました。デザイナーの視点から理想の街づくりについて研究・提案し続けています。

 

 しかし何よりも注力したのは、「一番明るく気持ちのよい空間を患者さんのために」ということ。施設の立地を考慮し、大きな窓を施設計画に取り入れ、眼下に広がるすばらしい眺望を来院する患者さん達に見てもらいたかった。

 

「来院される患者さんたちに対して、少しでも精神的な苦痛を緩和できれば嬉しく思います。来られる患者さんも症状は様々。待ち時間に景色を見て、気分転換できたり、光を感じてもらったり、そして、少しずつでも症状が良くなった時に、『前より見えるようになった』と実感するバロメータになったらいいなと思うのです。」

 

「利便性」そのものも大事であるが、患者さんの「心のケア」がデザインによって可能になるという考えのもと、彼のデザインは進められている。 そのクリニックを含め、彼の手がけた公共のデザインは空間デザインの数々の賞を受賞した。さらに学会で発表をし、複数の研究会に参加し、今も日々研究を続けている。

 

 空間デザインを追求する中で痛感したことがある。いくら屋内の環境を整備したとしても、そこにたどり着くまでの「街」が整備されていなければ意味がない。

 

「例えばロービジョンの人でも、照明環境が適正に整備されれば、夜間の外出が可能になります。少しでも外出しやすい環境が整備されて、街の散策を楽しんでもらいたいのです。」

 

 そんな思いから眼科医等とともに街の環境について研究を重ね、さらに行政に提言をしている。 そして一昨年、独立し、株式会社クワハタデザインオフィスを立ち上げた。

 

 研究そのものが、即、自社の収益につながっているわけではない。それでも追求し続けるその思いは何であろうか。

 

「『デザイナー=解決する人』だと思うのです。」そう語る桑波田さんが海外の生活を多く見てきた経験からしみじみ思うことがある。

 

「日本は障害のある人々にまだまだバリアが多いと思うのです。それは道路や・街といった物理的な面だけでなく、正しい理解の無さや精神的な面でもそれを感じます。海外ではハンディキャップを持っている人が助け合いの中でもっと外出をし、自由に生活しています。環境のバリアが解消されれば、心のバリアも無くなっていくはずです。」

 

「障害のあるないにかかわらず、全ての人が幸せに、いきいきと暮らせる街づくりを。」 ―桑波田さんの永遠のテーマである。それは彼の全ての人への思いやりの心、そして鍛錬し、洗練されたデザインの感性とともに進められていく。

 

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■特集■ 空間デザイナー 桑波田 謙さん(前半)

今回は、神奈川県横浜市で、空間デザイナーとして活躍している桑波田 謙さんにお話を伺いました。デザイナーの視点から理想の街づくりについて研究・提案し続けています。

 

 

桑波田謙さんへの質問

Q1 今まで訪問した外国で一番興味深かった国は?
A1 初めて訪れた国、インドです。日本とは何もかも違う世界で圧倒されました。
もっといろいろな世界を見てみたいと感じて、海外を放浪することになりました。
Q2 ドラえもんの道具でほしいものは?
A2 一番欲しいのはタイムマシン。地球の始まりから未来まで見てみたい。
それから、タケコプターで空中散歩をしてみたいです。
Q3 高校生に戻れるとしたら何がしたい?
A3 遊んでばかりでしたから、真面目に勉強したいです。
Q4 子供のころの夢は??
A4 刑事。「刑事くん」とか「太陽に吠えろ」とか、テレビドラマの影響です。

特にジーパン刑事、松田勇作は、ずっと私のヒーローでした。

Q5 若いみなさんにひとことメッセージを
A5 人と違う感じ方、人と違う考え方が、人と違う行動が、自分らしさや独自性に
繋がるのだと思います。自分の身体で、自分の心で感じたものを育てていってください。

 

 

窓から見える横浜・みなとみらいの風景と、やわらかな陽が演出する落ち着きのある一室が、桑波田氏のオフィスである。 ここから今、視覚障害者をはじめ、全ての人が使いやすく、認識しやすいデザインが生まれ、提案されている。その基本コンセプトは「やさしさ」。
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立体造形を学ぶため、高校卒業後、デザイン系の大学に進学する。日々課題制作に取り組みながらも、将来への明確な展望を持てぬまま、興味は別のものに向いていった。

 

 それは「海外旅行」。それもアジアや中東、アフリカの国に興味を持った。アルバイトをしては旅行へ行く生活を続け、世界中を見て回った。その旅行先は卒業までに50カ国以上に上る。そこでは多くの人々との出会いがあり、また日本と諸外国の違いを認識した。このまま世界中を見て回る生活をしたい、と思いつつも、一度自分の力を試してみようと思い至り、出会った会社(株式会社内田洋行)に入社。そこで医療施設や公共施設でのデザインに携わった。

 

 10年後、関連会社としてデザイン事務所が設立され、出向することになる。これまでは商品を売るための設計が中心であったため、桑波田さんは「デザイン事務所」でデザイナーとして創造的な活動ができることが心底うれしかった。

 

 そして眼科クリニックのデザインを担当することになった。ロービジョン(=視覚障害)の人達が少しでも利用しやすいためにはどうしたら良いか、試行錯誤が始まる。屋外でよく使われている「点字ブロック」は、JIS規格で”形状”が決められている。視覚障害のある人には便利であるが、車いすや足の不自由な人には逆にバリアとなってしまう。そのため屋内ではほとんど利用されていない。それをいかに両者ともに使えるものにするか、そして見た目にも美しいデザインを提供できるか、桑波田さんの研究がはじまった。

 

 視覚障害と一言で言ってもその症状は様々である。全ての人にわかりやすいデザインというのはとても難しいことである。たとえば、視野が非常に狭まっている症状の人には表示を大きくしたからといってわかりやすくなるわけではない。眼科クリニックの設計では、適度な大きさ・色の対比・表示場所をはじめとした多様な項目について病院スタッフ、多くの患者さんの意見やデータを集め、デザインを進めていった。

 

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